40代以降の方なら、幼少期にテレビCMのロケ地になっていたことにより強烈な印象として記憶にある方も多い訳ですが。
廃墟の学校体育館に人影は消え、ボールだけがバウンドしていく印象的なCMで主旨は資源を大切にというフレーズ。
其の体育館はまだ現存しますが、あの撮影から35年以上経過して海風による経年劣化は加速して、既に屋根は崩落しているもよう。
〈歴史〉
元は小さな岩礁に過ぎなかったこの島も石炭資源で江戸時代から栄えて、地下へ掘り続けた後に陸の炭鉱でいう掘削時の廃棄物であるボタ山が、岩礁周囲の埋め立ても同時に作用して、陸地が拡大していきました。
大正時代頃から限られた陸地に多くの労働者やその家族が暮らす為に、日本で最初の鉄筋コンクリート造の高層アパート群が建ち始め、この建築遺産や鉄筋コンクリートの劣化状況調査など、今となれば郷愁の昭和の炭鉱遺産としてのみならず唯一無二の建築工学分野の研究面でも重要な廃墟島に。
特異な外観の島は戦時中に実際に軍艦と間違われて砲撃の対象となった為に、其のことにより通称の軍艦島の由来になりました。
〈繁栄と過渡期〉
昭和の高度経済成長付近のピーク時には人口密度は東京を凌ぎ日本一となり、小さな島は新旧の高層アパートが建ち並ぶまさに天空都市となり、屋上庭園も先駆けとなりました。
神社や学校に病院の他にマーケットや娯楽施設といった生活や文化に加え、昭和の人付き合いを色濃く反映するアパートの共用エリアの設計施工など、当時の島の生活は今となっては朽ちる廃墟と元島民の記憶と夢の中に。
親子数代に渡り軍艦島に住み続けた世帯も珍しくはなく、元島民の方々の故郷は今でも風化しようとしている長崎県端島、通称は軍艦島です。
〈閉山と全島民退去〉
エネルギー政策転換から、とりわけ1960年代後半から1970年代にかけて石炭から石油へと需要が急激に変化する中、全国の炭鉱も一気に閉山となっていきましたが、軍艦島も三菱端島炭鉱閉山を余儀無くされ、ついに1974年に全ての住民が退去。
〈残留物の宝庫〉
船による不便な退去引越しは、また独特の遺産を島に残す結果に。
各アパートの部屋には当時で時間が止まったままのカレンダーや家財道具や日常用品などの残留物の宝庫と化して、まさに廃墟マニアには堪らない官能的な異次元の空間に。
〈最近の出来事〉
筆者も長年の希望を叶えるべく10年ほど前に軍艦島をクルーザーで一周しましたが、当時はまだ一般には正式には上陸は出来ませんでした。
しかし波の浸食による護岸の補修工事は閉山後も数十年繰り返されてきました。
その後はクルーザーを降りて一部散策出来る遊歩道が整備されたり、ドローンを使った島全景や崩壊の可能性が高く長らく許可を得た人ですら、入れなかった大正時代に作られたアパート内部の興味深い調査が行われたり、世界遺産の登録を目指す動きも活発化したりという流れに。
〈長崎市長が韓国へ地獄抗議表明〉
それでは歴史を刻み時間が止まった産業遺産である軍艦島に於ける最新ニュースにいきましょう。
韓国映画の対象として軍艦島が、さながら地獄島として映画化された事に長崎市長が抗議。HPで正式に数カ国語で島の正しい実情を紹介する事を表明。
命がけの炭鉱で栄えた島が故に、事故などによる暗い歴史も当然刻まれてはいるものの、往々にして世界遺産登録となる対象にはそうしたものも残るのは珍しい事ではなく、ただただ反日感情剥き出しに地獄として世界中に拡散し印象付ける事への抗議となります。
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