都市伝説と歴史と政治とミステリーが絡んだ話しは、殆ど無いが米朝会談は其れを孕んでいる。
今になってビスマルクの亡霊とは一体どういうことなのか?本当なのか?
東西ドイツ分断の始まり、ドイツ降伏前のヤルタ会談(ルーズヴェルト チャーチル スターリン)と降伏後のポツダム会談あたりから整理してみる。
《東西ドイツの分断》
ドイツの敗戦から数ヵ月後の1945年7月のポツダム会談により、ナチスドイツからソ連 アメリカ イギリス フランスによる分割統治となる。
その凡そ3年後、西側のアメリカ イギリス フランスが危機的な戦後のハイパーインフレを防ぐ目的から、各国独自の通貨から通貨統合政策を打ち出した事に、東側のソ連が排除される形となり東ドイツマルクを発行。
この通貨の対立から西ドイツと東ドイツが分断して、最終的には1975年からベルリンの壁を作りだす。
《ビスマルクが生きていたら》
まさに19世紀後半に弱小新興国プロイセンから拡大して、1871年のドイツ統一の中心人物となったドイツ帝国の初代宰相ビスマルクは20世紀になる直前に、ナチスの台頭も見ることなく、このようなドイツの分断も見ずに死没しているが、あろうことか敵対した社会主義により、プロイセン時代の幼少の頃から所縁のあったベルリンやその周辺が占拠され、統一から80年も経たずにベルリンで分断されたドイツを知ったなら、死んでも死に切れなく、再び生まれ替わり、ベルリンの壁崩壊へ歴史を動かすしかないと嘆いたかもしれない。
《ベルリンの壁崩壊から現在》
西ドイツのコール首相は表向き、国民への影響力も目立つ程に無かったが、ソ連との遣り取りが盛んだった。
この西ドイツの官庁には完全否定されるヒトラーとは対照的に、ビスマルクの肖像画が飾られている。
ソ連はというとゴルバチョフのペレストロイ(再構築)→壁崩壊→ソ連の崩壊の流れに。
しかしソ連のNATO容認(統一ドイツ残留)は何故実現出来たのか?NATOはドイツとソ連を抑えてアメリカを取り込むもの。
またサッチャーは東西統一反対であり、再びドイツが勢力拡大となる可能性を危惧していた。
東西ドイツの経済格差は当時は凡そ5倍だったのを同等でマルク統一。
既にソ連の弱体化があったところに、様々な要因が合わさり1990年のベルリンの壁崩壊。再統一の流れに。
メルケル政権以降、東西経済格差の問題をEUのギリシャなどの経済格差のある他国に目を向けさせ、EUの主導権までシステム上握ったドイツ。
《米朝会談に現れるビスマルクの亡霊》
現在の米朝会談に於いて興味深いのは、ビスマルクの亡霊が外交の魔術師として影響力を発揮しているとも取れる状況。トランプ大統領の外交の指南役はビスマルク外交を研究してきたキッシンジャー元国務長官だということ。東西冷戦の締めくくりに再び亡霊となったビスマルクが暗躍しているのか?ビスマルクの生まれ替わりは既にアジアの某所に現在暮らしているとも情報が入っている・・・
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